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やはり中国語に挑戦します 【著者プロフィール】現在、上海在住。スウェーデン滞在を経て、東京で勤務後仕事を通して上海に来る。これからチャイ語を真剣に学びます。


by nageha
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ダーツと美容師

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住宅と住宅のハザマで、こだわったバーやお店が小粋に存在感を主張する素敵なコミューンへ足を運ぶ。場所は代々木上原。
そのバーには、向かいのバーや焼き鳥屋のマスターから、近所に住む客たちとその飼い犬までカウンターに集まる。朝の4時、いまだダーツや歓談を楽しんでいる。その心地よい輪に新入り客である私も仲間に入れてもらい、気がつくと朝の5時。すでに電車は動いている。

すっかり秋の顔になった冷たい空気の中、駅までの道のり、ふと思い出しました。

れっきとした移民になるべく瑞典で日々修行を続けていた私は、ある春の日、友人たちとクロアチア経由でボスニアへ旅する事を計画した。我々はデンマーク系移民、ノルウェー系移民のおばちゃん2名、国際関係学科の瑞典人学生たち、移民志願者・日本人1名を含む総勢10名のなかなか迫力あるパーティだ。

全員可笑しいくらい金はない。1日半かけて瑞典からフェリーと汽車を乗り継いでクロアチア入りする。首都ザグレブは美しい街だ。お洒落なCafeもあり大好きな珈琲にも不自由しない。Cafeに置き忘れたミネナルウォーターを1時間後に取りに戻ると「待ってたよ。」と厚化粧のお姉ちゃんは笑顔で手渡してくれた。バスでボスニアの小さな街・マグライへ向かう。国境を超えると突然景色が変貌する。白い荒野の中で崩れ落ち、家主を失った家々。旅行者気分だった我々全員が言葉もなくその一転振りに息を呑む。濃緑色の小さな山が連なるマグライの景色はニホンの山田舎を髣髴させ郷愁を覚えるものの、質素な建物には銃弾の跡がいくつも残り、林への入り口には【MINES(地雷注意)】の黄色いテープ。おっちょこちょいな私はうっかり踏みそうだ。

仲間たちが仮眠を取っている間、連日連夜の瑞典語に少々お疲れ気味の私は、近くの砦跡へ登ってみることにした。火曜日の昼下がり。砦跡は地元人の遊び場になっていた。街並みを一望しながら高台を散策していると、20歳前後の女の子が私に話しかけて来た。名前をアムラと言う。美容師のアムラは英語を全く話さない。"NAME"も"WHERE"も通じない。ガイドブックのボスニア語と想像力を駆使し意思疎通を試み、一緒にピクニックをする事にした。一度家に戻ると言って彼女は消えてしまう。会話に確信がないので気長に待っていると、彼女がお菓子とジュースを小脇に抱え戻ってきた。人が人を呼び7歳くらいの少年から60歳くらいのおばちゃんまで巻き込んだそのピクニックは、英語堪能な美少女アミラの参加で更に盛り上がるが、別れ際私はハイテンションのおばちゃんに、強引に唇を奪われちょっと凹む。夜も一緒に遊びに行こうとアムラとその友人ネジラに誘われる。この2人とは共通言語がないため若干不安だが、好奇心に負けて快諾。瑞典仲間に連絡をしたいのでいったん宿に戻る。

19時になると約束どおり彼女たちは私の宿に現れた。なんでもマグライに日本人が訪れたのは援助のエンジニア以来数十年ぶりらしく、見た目が珍しい日本人はちょっとした珍獣扱いだ。街を歩くと多くの若者が私の名前を叫び笑顔で手を振っている。たまに石も飛んでくる。ディナーしたりビリヤードしたり踊りに行く途中、私のボスニア人の連れ達はリレーのごとく代わって行ったが、最初から最後までお付き合いいただいたネジラとは今でも文通をしている。結婚後、赤ちゃんが生まれ今はサラエボにお住まいだそうだ。

代々木上原とマグライ。
全然関係ないんですけどね、突然思い出しちゃったんです。
私の知らないトコロでは別の時間が流れてるんだなと。
by nageha | 2004-10-07 00:00 | あげはをめぐる冒険