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やはり中国語に挑戦します 【著者プロフィール】現在、上海在住。スウェーデン滞在を経て、東京で勤務後仕事を通して上海に来る。これからチャイ語を真剣に学びます。


by nageha
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自分が知っている事

今日は、自分の住む街、上海で大規模な抗日デモが起きている。中国に住みながら、日中の事をどれだけ知っているかというと、実際、その知識は決して多くない。なぜなら学生時代、一番苦手な科目が、歴史・時事問題だったからだ・・・。
そんな訳で今日は一日中、日中関連の記事を読んでいた。調べだすときりがなく、情報は次から次へと沸いてくる。考えはまだまとまっていないのが正直なところなのだが、1つ面白い記事を見つけたので、ここでご紹介しようと思う。(長文です。)

【掲載先】TUP-Bulletin

テーマ: もはや“単独”のスーパーパワーではなくなった米国――中国との折り合いをつける
No Longer the "Lone" Superpower -- Coming to Terms with China トム・ディスパッチ 2005年3月15日 ――チャルマーズ・ジョンソン


中米関係ならびに中日関係は急速に悪化する
Sino-American and Sino-Japanese Relations Spiral Downward

友好的であっても敵対的であっても、アメリカの競争相手になる勢力圏の出現の動きがあれば、全力をあげてこれを阻止しなければならないというのが、長年のネオコン信条の眼目(がんもく)にある。このことは、ソ連崩壊の後、ネオコンが次の仮想敵のひとつとして中国に目を向けたことを意味する。2001年にネオコンが権力の座につくと、多数の核兵器の照準がロシアから中国に振り向けられた。彼らはまた、台湾防衛をめぐり、台湾の高官レベル当局者たちと定期的な会談を開始し、アジア=太平洋地域への軍部隊と軍備の移動を命令し、日本に対し再軍備の推進を精力的に働きかけた。

2001年4月1日、米海軍のEP3Eアリエシ2電子偵察機が中国南部の沖合で中国のジェット戦闘機と空中衝突した。米海軍機は、中国のレーダー防空網を挑発し、中国が採用している迎撃機発進用の通信方式を記録する任務についていた。中国のジェット機は墜落、パイロットが落命したが、米海軍機の方は海南島に無事着陸、乗員たちは中国当局に手厚くもてなされた。

中国にとって最も重要な投資者の多くがアメリカに本拠を構えているので、中国としては、直接対決が得策でないことはすぐに分かった。だが、挑発行為を前に卑屈な態度で出れば、国内で強力な批判を招くことが不可避なので、スパイ機の乗員たちを即座に還すわけにもいかなかった。だから中国は、アメリカが中国領空の間際で中国軍パイロットの死を招き、米海軍機が中国軍の飛行場に無許可で着陸したとして形だけの謝罪をするまで11日間待った。一方のアメリカでは、マスメディアが乗員を“人質”と決めつけ、縁者たちが近隣の木々に黄色いリボンを結ぶようにけしかけ、大統領は乗員を解放するために“第一級の仕事”をしたと称え、中国を“国家統制報道”のゆえに果てしなく批判していた。もっとも、アメリカが国土周辺に領海範囲をはるかに超える200マイル防空圏を設定していることには言及を慎重に避けてはいたが。

ブッシュ大統領は、2001年4月21日、全国テレビ番組のインタビューで、台湾防衛のために中国に対して「米軍の全力」を投入するかと質問された。大統領は「台湾の自己防衛を助けるために、必要なことは何でもします」と応じた。中国が“対テロ戦争”に熱心に参画し、大統領とネオコンが“悪の枢軸”に夢中になり、イラクに戦争を仕掛けるきっかけになった9・11が勃発するまで、これがアメリカの方針だった。同時に、アメリカと中国は緊密な経済関係を享受してもいて、共和党の大企業翼賛派はこれを危険にさらしたくなかった。

だから、中東はネオコンの対アジア政策よりも優先度が高かった。アメリカが気を散らしているうちに、中国は4年近くビジネスに精を出し、アジア最強チームにして潜在的なアジア経済統合の要として浮上してきた。急速に工業化する中国はまた、石油、その他の原材料に対する貪欲な需要を生みだし、世界の二大輸入国たるアメリカや日本と直接競争するようになった。

2004年夏には、ブッシュの戦略家たちはイラクに気を取られながらも、中国の成長力と、東アジアにおけるアメリカの覇権に挑戦する潜在力とにふたたび警戒感を募らせるようになった。ニューヨークにおける8月の共和党大会で発表された政治綱領に「アメリカは台湾の自己防衛を支援する」と謳われた。その夏、米海軍も「夏日脈動作戦2004」と称する演習を実施し、これにアメリカの12空母攻撃群のうち7群を同時に投入した。アメリカの一個空母攻撃群は、空母(通常、9または10飛行編隊からなる計85機の航空機を搭載)1、誘導ミサイル巡洋艦1、誘導ミサイル駆逐艦2、攻撃潜水艦1、弾薬・燃料複合補給船1で編成されている。このような大艦隊を一度に7つも動かすのは前代未聞――そして非常に高くつくもの――だった。太平洋に派遣されたのは3空母攻撃群のみであり、一時に台湾周辺を巡航していたのは1艦隊だけだったにしても、中国にすれば、これは19世紀の砲艦外交の復活を意図したもの、しかも自国を標的としているとして非常に警戒することになった。

台湾住民たちはアメリカのこのような示威行動に煽られ、さらに台湾の12月選挙を前にした陳水扁の論客たちに過剰に刺激されたようだ。10月26日、北京で、コリン・パウエル国務長官は記者団を前に次のように声明し、事態の沈静化を図った――「台湾は独立国ではない。台湾は国家としての主権を享受せず、それが今でもわが国の方針であり、わが国の確固とした政策である……わが国は、すべての関係者が望む最終結果、すなわち再統一を損なうような一方的な行動を双方が慎むように望んでいる」

パウエルの声明は明解であるように見受けられたが、はたしてご本人がブッシュ政権内部でいかほどの影響力を持つのか、またチェイニー副大統領やドナルド・ラムズフェルド国防長官を代弁して語ることができるのかどうかについて、ぬぐいきれない疑問が残った。2005年初めの連邦議会において、CIAの新任長官ポーター・ゴス、ラムズフェルド国防長官、国防省諜報庁長官のローウェル・ジャコビー海軍大将がこぞって、中国の軍事近代化は以前の予測よりも迅速に進んでいると発言した。「4ヵ年国防計画見なおし」は4年ごとに発表される公式なアメリカ軍事政策評価報告であるが、2005年版は、中国の脅威について2001年に示された概要に比べて、もっと厳しい見通しを語るものになるだろうと彼らは警告した。

このような状況において、ブッシュ政権は、おそらく11月2日選挙の結果や国務省トップのコリン・パウエルからコンドリーザ・ライスへの首のすげ替えに勢いづいたのだろうが、危険きわまりないカードを切った。同政権は2005年2月19日ワシントンにおいて日本との間に新たな軍事合意を結んだ。日本が、史上始めて台湾海峡の安全保障を“共通戦略目標”としてブッシュ政権と認識を共有することになったのである。中国指導部にとって、日本が台湾海峡に介入する権利を主張し、60年にわたった公的な平和主義を惜しげなく捨て去るとあからさまに示すこと以上に危険な徴候はない。

近い将来、台湾そのものは、もっと直接的な中日間対決に押され、重要度において影が薄くなることもありうる。このような事態は不吉な状況になるだろうし、アメリカは、それを煽りたてた責任がありながら、まったく制御できなくなるだろう。中日間の暴発を招く種火は久しい前から用意されている。なんと言っても、第二次世界大戦中、日本は東アジア全域で――ナチスの手にかかったロシア人の信じられないような死者数よりも多い――約2300万人の中国人を殺害しながら、いまだに償いを拒み、自国の歴史的な戦争犯罪すら認めていないのだ。

小泉純一郎は、2001年に日本国総理大臣に就任すると――中国人にとって痛ましい――象徴的行為として、初めて東京の靖国神社に参拝し、以後毎年、繰り返している。小泉は外国人たちに向かって日本の戦死者を敬っているだけであると言うのが好きである。しかし、靖国は軍用墓地あるいは戦争記念物どころではない。この神社は、日本の王政復古のための戦闘で失われた命を追悼するための神道の神社として、1891年に明治天皇によって建立された(もっとも、鳥居は伝統的な赤塗りの木のものではなく鋼鉄製だが)。第二次世界大戦中、日本の軍国主義者たちが神社を掌握し、愛国・国粋主義心情を鼓舞する目的に用いた。現在、靖国神社は、1853年からこのかた国内外でおこなわれた国家による戦争で亡くなった約240万人の日本人を祭っていると言われている。

1978年、連合軍により戦争犯罪者として絞首刑に処せられた東条英機将軍、その他6名の戦時指導者たちが、明かされないままの理由により靖国神社に合祀された。同神社の現在の宮司は「勝者が敗者を裁いた」と唱え、彼らが戦犯であることを否定している。神社境内の博物館に三菱ゼロ型52戦闘機が展示され、中華民国の戦時首都だった重慶で1940年に初陣を飾ったという説明板が付されている。2004年アジア杯サッカーのファイナル戦がおこなわれたとき、重慶で中国人観衆たちが日本国歌の斉唱にブーイングを浴びせたのも、偶発的なできごとではなかったのは疑う余地がない。靖国の指導者たちはいつも皇室との緊密な繋がりを主張してきたが、前の天皇の裕仁が最後に靖国を訪れたのは1975年のことであり、明仁天皇はまだ行っていない。

中国人たちは、日本国総理大臣の靖国詣でを、たぶん仮装パーティで見られた英国ハリー王子のナチス親衛隊姿にもどこか似たような侮辱行為として見ている。それでも、昨今、北京は東京の顔を立ててきた。中国の胡錦濤主席は、河野洋平・衆議院議長が2004年9月に中国を訪問したさい、彼のために赤絨毯を広げた。胡錦濤は、中国外交部内の穏健派重鎮、王毅を駐日大使に指名した。彼はまた、双方が排他的経済権益を主張する海域における可採石油資源の共同開発を提案した。このようなすべての意思表示は、あくまでも靖国参拝を続けると主張する小泉に無視された。

事態は、2004年11月に開かれた重要な二つの首脳会議、すなわちアジア太平洋経済協力会議(APEC)のサンチャゴ(チリ)会合、およびそれに続く東南アジア諸国連合(ASEAN)に中国、日本、韓国の首脳たちを加えたビエンチャン(ラオス)会議の場で土壇場に達した。サンチャゴで胡錦濤はじかに小泉に会って、中日友好のために靖国参拝を止めるように要請した。これに対する返答であるかのように、小泉はビエンチャンで中国の温家宝首相をわざわざ侮辱するようなことをした。温家宝に対し、小泉は「(中国は日本の対外援助の対象国の立場から)そろそろ卒業すべき時だ」と語り、25年にわたる経済援助計画を一方的に打ち切る日本の意向を示した。“卒業”という言葉は、日本が生徒である中国を指導する教師を自認しているという侮辱的な意味合いをも伝えている。

続けて小泉が、中国との関係を正常化するために日本が払った努力の経緯について子どもじみた演説をぶつと、温家宝首相は「中日戦争で何人の中国人が死亡したのかご存知ですか?」と応じた。温家宝はさらに、日本の外国援助など、中国としては必要なかったと言い、戦争中に日本が中国にもたらした被害に対する賠償の代わりに受け取る支払いであると中国は常に見なしてきたと示唆した。中国は日本に賠償を一度も要求しなかったし、日本の支払額は25年間で300億ドルになるが、ドイツがナチスによる暴虐行為の犠牲者に支払った800億ドルに比べ、また日本が人口でも経済規模でもずっと強大であるにもかかわらず、ほんの断片にすぎないと彼は指摘した。

2004年11月10日、日本海軍が沖縄近辺の日本領海内で中国の原子力潜水艦を発見した。中国が謝罪し、潜水艦の侵入を“過ち”と認めたにもかかわらず、大野防衛庁長官は侵犯事件を大々的に宣伝し、日本国民の反中国感情を煽った。この時以来、北京と東京の関係は着実に悪化しはじめ、日米が台湾は両国共通の軍事的関心事であると表明するにおよび行きつくところまで行って、これに対して中国は“醜態”と糾弾した。

時間がたてば、この関係悪化は日米両国、とりわけ日本の国益を損なうと分かることになるだろう。中国が直接的に報復するのは想像しがたいことだが、起こったことを忘れるというのはそれ以上に考えられない――それに、中国は日本に対して強大な影響力を振るえるのである。なんと言っても、日本の繁栄は中国との結びつきにますます依存しつつある。この場合、反対もまた真なりと言うわけにはいかない。おおかたの想像とは裏腹に、日本の対中輸出は2001年から04年にかけて70パーセント跳ねあがり、失速気味の日本経済の回復のための主要な推進力になっている。約1万8000社の日系企業が中国で操業している。日本は、海外の大学に留学する中国人学生の行き先国として、03年にアメリカを追いぬき、世界第一位になった。現在、アメリカの大学で約6万5000人の中国人学生が学んでいるのに比べて、日本では約7万人が在学している。アメリカと日本がこの地域の軍事化を追求すれば、このように緊密であり利益になる関係が危険にさらされることになる。
by nageha | 2005-04-16 20:12 | 未分類